旅行
2007年12月03日

今から約一年前。丁度12月に行ったのでした!
この古代都市テオティワカンは1987年に世界遺産に登録されています。

ジルちゃん
から約40分くらい。メキシコシティーから約50Km北に位置する。案外近い。
右奥に太陽
のピラミッドが見えてます。これが駐車場から結構距離があるんです
。ひたすら歩く、歩く
。スニーカー、帽子、飲み水持参を強くお勧め
します。死者の大通りと呼ばれる不気味な名の一本道を歩き、
ピラミッドを右手にしながらまずは小さい月
のピラミッドに登りました。
ピラミッド頂上からの風景。小さいといっても高さ45メートル。ガハハハ・・・、でかい!
中央に見えてる死者の大通りがドド~ンと
ピラミッドまで続き、左手には
ピラミッドを拝めます。
お~でかい!さすがラテンアメリカ最大だけある!!標高が高いメヒコだけにピラミッドまで歩くだけでもヒ~ヒ~言ってるのに・・・。
ピラミッドに登ったらこりゃ~~息が上がる・・・

でもこの光景を目にし、この疲れも一気に吹き飛ぶ

この風景が何故か好きな私
。記念撮影お勧め度No.1です!
ただ、頂上付近は少々安定が悪いので
気をつけてね!!
Teotihuaca'nの歴史
Teotihuaca'nは紀元前100年頃にTeotihuac'an人と呼ばれる人々によって作られたらしい。
Xochimilcoソチミルコで体験した名残の湖、当時は大変大きい湖だった。
その湖の対岸、
南岸にCuicuilcoクイクイルコ、
北岸にTeotihuaca'nテオティワカンの2大集落が発展し始めた。
(ちなみにCuicuilcoも発掘されていて見ることが可能。
近いうちに行ってみたい。)紀元後100年ごろ、シクトリ火山
の噴火によってクイクイルコが溶岩に埋もれてしまうと、
テスココ湖(でかい湖の中の一つ)周辺のメキシコ盆地の人口はテオティワカンに集中し、
最盛期であった紀元後300-400年ごろには
推定人口10-15万人と世界一の大都市と発展した。
当時のヨーロッパと比較するとコンスタンティノープル(今のイスタンブール)以外、人口2万人を超すところは無かったというので、
いかにテオティワカンがでかかったか・・・。
当時、彼らには彼ら独特の宇宙観があり、
その小宇宙がどうやらピラミッド内だったらしいです。
様々な儀式が行われたのはもちろんのこと、
以前は平和的な神制政治と言われてたけれど、
実はここでも人身御供
が行われた事が明らかとなったようです。
あ~、やっぱり。またこの
ピラミッドは6回建て替えられたそうです。その際、ジャガー、わし、人間の犠牲者、黒曜石等の石製品と共に奉納された事が報告されてます。
ピラミッドの中心は年に2回太陽が真上に来るように設計されており、彼らの天文学的知識の高さを伺わせる。
また、地下6メートルに四葉のクローバー形の洞穴が発見されている。
メソアメリカだけでなく、アメリカ大陸各地の神話では
洞穴は世界創造や、人類出現と関係づけられ、
自らの部族の始祖が洞穴から出現すると言う伝承も多くの地域で見られる。
このピラミッドも日本の神社に似ていて
神聖なあるべき所に作られるべし!
的な考え方が高かったようです。
もしかするとこの洞穴がピラミッドを建てられた鍵だったのかも・・・。
そして、多くの人々を惹きつけた原因だったのかもしれない。
その後、紀元後600年ごろにはこの大都市も政治不安に見舞われ
異民族の侵攻を受け、衰退していったとか。
意外にもテオティワカンの歴史はマヤやアステカに比べ非常に検索率が悪く、
あまり多くの情報が集められなかった・・・。
謎に包まれたまま部分が多いことも事実ですが・・・。
が、このテオティワカンが廃墟になって数百年後・・・。
アステカの人々がこのどでかいピラミッドのあるテオティワカンを発見した際に
「これぞ、まさしく神の居る場所!」
ということで、アステカの人々の宇宙観
でもある
と
の神話の舞台にしたんだって。そう、今呼んでる太陽や月のピラミッド、死者の大通り等の名前は
アステカ人によって名づけたれたそうな。
Teotihuaca'nと言う名はNahuatl(ナウアトル)語で神々の都市と言う意味。

このテオティワカン、マヤと深いかかわりがあるようです。
ことを含めるとまだまだ歴史はあるのだけれども、
それを入れようとすると先に進まんので、
今日はひとまずこの辺で
。少し休憩し、下へ降りよう!

ピラミッドの周辺を歩くと
当時の住居跡の様な場所を見る事ができます。
なかなか綺麗に区画整備されていて、
結構几帳面なのかも??と思ったりして。さて、今度は
ピラミッドに向かおう!!
歩く私は何故か無言。ひ~、天気も十分良いお陰でかなりバテ気味
。そこで見かけたこの風景。

ガハハハハ!!
そりゃ~、具合の悪い人が出てきても仕方ないか!
ちゃんと救急隊
が待機しておりました
。その地点を横目に・・・


ほ~~!やっと着いたよ!
ピラミッドの真正面。さて!頑張って登るか!!

ですが、途中休憩。
メヒコは高地ということを忘れてはなりません。
あ~、水がおいしい~~~
!
結構ええ景色やろ~??
向こう側は
ピラミッド。さて、もう一踏ん張り!!ファイト~~!

ひえ~~。65メートルの高さを誇る
ピラミッド。高~~い!
頂上にはたくさんの人。
特に中心部で人だかりが・・・。
なんや???と思い近づくと。

ピラミッドの中心にある四角い鉄
片が。ジルちゃん、人差し指をそこに当て、
太陽のエネルギーを得るんだって。
私もパワーを
頂きました。ですが、私の体力はここまで
。その他、神殿、宮殿、博物館等あるのですが、
こりゃ~、また次回
。2007年11月22日
11月19日のDi'a de la Revolucio'n;メヒコ革命記念日には
メキシコシティーから65Km北に位置する
Hidalgo(イダルゴ)州のTula(トゥーラ)に遺跡を見に行ってきました!!
Tulaはイダルゴの文化遺産でもあり、国家遺産に指定されてます。
Tulaの遺跡
Tulaの遺跡はトルテカ文明が栄えた地で
ピラミッドの上に4つの大男の石造、石柱があり、
周りには多くの石柱が残る。
Tulaは古代メキシコの中で最も重要な都市の一つで、4世紀以上の歴史を持ち、
AD1000頃にはこの辺り16平方㎞に渡り、何万人もの人々が住む都市であった。
この都市には、広場、ピラミッド、宮殿、複合型テラス、
水路設備、排水設備、道路、大通り、
都市を行きかうためのTula川には橋がかけたれていた。
当時の人々ってすごいよね~~。
この遺跡にあたる所はちょうど都市の最重要地にあたり、
ここには2つのピラミッド、通路、祭壇、集会所、宮殿、
2つの球戯場があり、この都市の宗教的・政治・行政の中心地だった。
2つのピラミッドはこの都市のどこからでも見えるように作られた。
のだそうです。


後ろに見えるのが主要なピラミッド。
ピラミッド正面にはこのようにたくさんの柱のある大きな入り口で覆われており、この様式はトルテカ建築特有。
このピラミッドの向かいにあるもう一つのピラミッド(後に出てきます。)
とは全く違ってると分かってもらえると思います。
では、近づいてみよう
!

左端になにか屋根付き囲いが。なんやろう??

お、これはChacmool;チャック・モール
!!
右の頭が欠けてますが、血なまぐさいトルテカ文明に独特な物の一つ。
神に太陽が欠かさず出ますように!と雨乞いならぬ、太陽
乞いに欠かせぬ石台。
神に捧げる生贄(人)を仰向けに寝かせ、
黒曜石のナイフでその胸から心臓
を抉り取り、
ピクピク動く新鮮な心臓
をチャックモールの
お腹の上のお皿に載せ、
神にささげる儀式。
日常的に行われたとか
。
おそろしい・・・
。
一体、どうして神様は心臓が好きだと思ったんだろう???
でも当時は大変意味のある事だったようですよ
。
チャック・モールは世界7不思議の一つに入った
チチェン・イツァー(マヤ文明)でも発見されており、トルテカ文明と文化交流があった証拠として貴重な資料
。
このトルテカ文明、話からも分かるように大変血を好む、戦争好きな文明だったよう。
そりゃ~毎日太陽乞いするのに1人は必ず要るんやからね~。
最低でも365人は年間に必要なんか!
戦争して捕虜を獲得せんと!!

ピラミッドの上には4体の巨大彫像が。
石柱、彫像は一つのピースに凸凹が施され、
重ねるとぴったりはまりそれぞれのピースを組み合わせるように出来てます。
彫像は4ピースから成ってます。
「彼ら、右手にはピストルを持ってる!」
とジルちゃんは言うのですが・・・。
この時代にピストル??
そんなわけ無いやろ!!
と突っ込みを入れながら
・・・
手前の小さな石柱に凸があるのが見えてます。
ほんまに賢いね~~。
やけど、ほんまにどうやって作ったんやろう?
どうやって運んだんやろう・・・
このピラミッドはこの都市で大変神聖な建築物の一つ。
ここは王家の人々、権威ある聖職者のみがアクセスできた場所であろうと推測されてます。
目的として、
1;この4体の彫像に現されたトゥーラ王家支配への服従。
2;トルテカの主要活動である、戦争への従事。
そう、王家崇拝に捧げられたピラミッドなんですって。

こちらは石像のあるピラミッドから真正面にあたる景色。
左の方にもう一つピラミッドがあります。
残念ながら、劣化が激しく、このピラミッドには上る事は出来ません。
が、何とも美しいフォーム。
その奥には街並みが見えています
。
ピラミッドを降りて、ピラミッドの壁を見てみよう!

これは蛇の壁。
ピラミッドは彫像、そして、この写真のように数え切れない程の
多様な浮き彫り彫刻で飾られています。
メシカ族(メキシコ原住民)宇宙観として
この壁を神聖な儀式的境界線として定められた事は知られており、
人間の骸骨を巨大ガラガラ蛇(毒蛇)が貪り食う
所を現しています。
推測ですが、人間の生贄の儀式が行われていたらしい。
。
ひえ~、恐ろしい・・・。
こんな時代を生きた人々はどんな精神構造してたんやろう・・・
。
さて、ピラミッドから離れ、
中央の広場らしいところへ歩こう
。
お、これは!!
Juego de Pelota(球戯場)です。
サッカー大国メヒコの起源か??この遺跡には2つの球戯場が残ってます。
そのうちの一つ。

この球戯場、どうやら儀式と関連してる様子。
いろんな儀式は天体と戦争に関連して行われたようです。
この球戯場、壁は彫刻が施されたようですが、今では石がむき出し状態。
両サイドの壁には
石の輪(今で言うサッカーゴール)があったと。
この球戯場もチチェン・イツァーの物と大変似てるそう。
この球戯場の東隣へ歩くと

これは!!
Tzompantli(ツゥオンパンツゥリ)、頭部の陳列。
このような陳列をする事で、Tula社会の秩序を統制しようとしたのですと。
いわゆる威圧し、人々を支配したと言う事。
ひ~、怖~~~。
1970年に発掘された当時、
南北に59.80m
東西に11.48m
もの敷地だったと言うから驚きだわ
!!
すごい数の
だったことでしょう。
ここで、頭をはねられた人々と言うのは
生贄にされた人々。一般には戦争の捕虜だったそう。
まあ、毎日生贄が出たんだろうから、もっと大きくても驚きはしないか・・・。
この球戯場の東に面してると言うところに
またまたチチェン・イツァーと同様で
球戯場とTzompantliが共に機能していたことを伺わせる。
多分、戦争の捕虜を使って球戯観戦をしたのち、
勝つか、負けるかしたチームの首を生贄として捧げたのだろう・・・。
それが、どうやら勝ったチームの頭らしいんだよね。
(と聞いた事があります。)
神様に差し出すものはやはり強いものの方が良いのだろうか???
チーム全体、もしくはリーダーだけなのか。
私も勉強不足で分かりません。また調べときます
。
なにはともあれ、この遺跡、
遠く離れたマヤ文明と交流があったのか?
大変似通ってる部分がある所は大変興味深い
ところだと思います。
調べれば調べるほど血なまぐさい都市だね~~。
だけど、遺跡めぐりは面白くてやめられません
。
いつかチチェン・イツゥアーに行って見たい
このTulaの遺跡、私はかなり
気に入りました。
また行きたい!テオティワカンよりも好き
です。
なぜか???
もち、テオティワカンより随分こじんまりしてるけれども・・・。
このように

遺跡に到達するまで
サボテン
があちらこちらに。
お~~!メヒコだよ!!
と感動する事、間違いないです
!
それに、規模が小さいので歩くには本当に調度良い感じ
疲れて「ひ~ひ~
」言わずに済みます
。
え~、体力ないのが理由~~????
と突っ込まれそう・・・。ひ~!
今度、去年ですが、テオティワカンへ行った時の模様を、UPします!
比べてみてね!!(IW, お楽しみに!)
テオティワカンはでかい!!!
体力勝負です
!
続きを読む
メキシコシティーから65Km北に位置する
Hidalgo(イダルゴ)州のTula(トゥーラ)に遺跡を見に行ってきました!!
Tulaはイダルゴの文化遺産でもあり、国家遺産に指定されてます。
Tulaの遺跡
Tulaの遺跡はトルテカ文明が栄えた地で
ピラミッドの上に4つの大男の石造、石柱があり、
周りには多くの石柱が残る。
Tulaは古代メキシコの中で最も重要な都市の一つで、4世紀以上の歴史を持ち、
AD1000頃にはこの辺り16平方㎞に渡り、何万人もの人々が住む都市であった。
この都市には、広場、ピラミッド、宮殿、複合型テラス、
水路設備、排水設備、道路、大通り、
都市を行きかうためのTula川には橋がかけたれていた。
当時の人々ってすごいよね~~。
この遺跡にあたる所はちょうど都市の最重要地にあたり、
ここには2つのピラミッド、通路、祭壇、集会所、宮殿、
2つの球戯場があり、この都市の宗教的・政治・行政の中心地だった。
2つのピラミッドはこの都市のどこからでも見えるように作られた。
のだそうです。


後ろに見えるのが主要なピラミッド。
ピラミッド正面にはこのようにたくさんの柱のある大きな入り口で覆われており、この様式はトルテカ建築特有。
このピラミッドの向かいにあるもう一つのピラミッド(後に出てきます。)
とは全く違ってると分かってもらえると思います。
では、近づいてみよう
!
左端になにか屋根付き囲いが。なんやろう??

お、これはChacmool;チャック・モール
!!右の頭が欠けてますが、血なまぐさいトルテカ文明に独特な物の一つ。
神に太陽が欠かさず出ますように!と雨乞いならぬ、太陽
乞いに欠かせぬ石台。神に捧げる生贄(人)を仰向けに寝かせ、
黒曜石のナイフでその胸から心臓
を抉り取り、
ピクピク動く新鮮な心臓
をチャックモールのお腹の上のお皿に載せ、
神にささげる儀式。
日常的に行われたとか
。おそろしい・・・
。一体、どうして神様は心臓が好きだと思ったんだろう???
でも当時は大変意味のある事だったようですよ
。チャック・モールは世界7不思議の一つに入った
チチェン・イツァー(マヤ文明)でも発見されており、トルテカ文明と文化交流があった証拠として貴重な資料
。このトルテカ文明、話からも分かるように大変血を好む、戦争好きな文明だったよう。
そりゃ~毎日太陽乞いするのに1人は必ず要るんやからね~。
最低でも365人は年間に必要なんか!
戦争して捕虜を獲得せんと!!

ピラミッドの上には4体の巨大彫像が。
石柱、彫像は一つのピースに凸凹が施され、
重ねるとぴったりはまりそれぞれのピースを組み合わせるように出来てます。
彫像は4ピースから成ってます。
「彼ら、右手にはピストルを持ってる!」とジルちゃんは言うのですが・・・。
この時代にピストル??
そんなわけ無いやろ!!
と突っ込みを入れながら
・・・
手前の小さな石柱に凸があるのが見えてます。
ほんまに賢いね~~。
やけど、ほんまにどうやって作ったんやろう?
どうやって運んだんやろう・・・
このピラミッドはこの都市で大変神聖な建築物の一つ。
ここは王家の人々、権威ある聖職者のみがアクセスできた場所であろうと推測されてます。
目的として、
1;この4体の彫像に現されたトゥーラ王家支配への服従。
2;トルテカの主要活動である、戦争への従事。
そう、王家崇拝に捧げられたピラミッドなんですって。

こちらは石像のあるピラミッドから真正面にあたる景色。
左の方にもう一つピラミッドがあります。
残念ながら、劣化が激しく、このピラミッドには上る事は出来ません。
が、何とも美しいフォーム。
その奥には街並みが見えています
。ピラミッドを降りて、ピラミッドの壁を見てみよう!

これは蛇の壁。
ピラミッドは彫像、そして、この写真のように数え切れない程の
多様な浮き彫り彫刻で飾られています。
メシカ族(メキシコ原住民)宇宙観として
この壁を神聖な儀式的境界線として定められた事は知られており、
人間の骸骨を巨大ガラガラ蛇(毒蛇)が貪り食う

所を現しています。
推測ですが、人間の生贄の儀式が行われていたらしい。
。ひえ~、恐ろしい・・・。
こんな時代を生きた人々はどんな精神構造してたんやろう・・・
。さて、ピラミッドから離れ、
中央の広場らしいところへ歩こう
。お、これは!!
Juego de Pelota(球戯場)です。
サッカー大国メヒコの起源か??この遺跡には2つの球戯場が残ってます。
そのうちの一つ。

この球戯場、どうやら儀式と関連してる様子。
いろんな儀式は天体と戦争に関連して行われたようです。
この球戯場、壁は彫刻が施されたようですが、今では石がむき出し状態。
両サイドの壁には
石の輪(今で言うサッカーゴール)があったと。
この球戯場もチチェン・イツァーの物と大変似てるそう。
この球戯場の東隣へ歩くと


これは!!
Tzompantli(ツゥオンパンツゥリ)、頭部の陳列。
このような陳列をする事で、Tula社会の秩序を統制しようとしたのですと。
いわゆる威圧し、人々を支配したと言う事。
ひ~、怖~~~。
1970年に発掘された当時、
南北に59.80m
東西に11.48m
もの敷地だったと言うから驚きだわ
!!すごい数の
だったことでしょう。ここで、頭をはねられた人々と言うのは
生贄にされた人々。一般には戦争の捕虜だったそう。
まあ、毎日生贄が出たんだろうから、もっと大きくても驚きはしないか・・・。
この球戯場の東に面してると言うところに
またまたチチェン・イツァーと同様で
球戯場とTzompantliが共に機能していたことを伺わせる。
多分、戦争の捕虜を使って球戯観戦をしたのち、勝つか、負けるかしたチームの首を生贄として捧げたのだろう・・・。

それが、どうやら勝ったチームの頭らしいんだよね。
(と聞いた事があります。)
神様に差し出すものはやはり強いものの方が良いのだろうか???
チーム全体、もしくはリーダーだけなのか。
私も勉強不足で分かりません。また調べときます
。なにはともあれ、この遺跡、
遠く離れたマヤ文明と交流があったのか?
大変似通ってる部分がある所は大変興味深い
ところだと思います。調べれば調べるほど血なまぐさい都市だね~~。
だけど、遺跡めぐりは面白くてやめられません
。
いつかチチェン・イツゥアーに行って見たい
このTulaの遺跡、私はかなり
気に入りました。また行きたい!テオティワカンよりも好き
です。なぜか???
もち、テオティワカンより随分こじんまりしてるけれども・・・。
このように

遺跡に到達するまで
サボテン
があちらこちらに。お~~!メヒコだよ!!
と感動する事、間違いないです
!それに、規模が小さいので歩くには本当に調度良い感じ

疲れて「ひ~ひ~
」言わずに済みます
。え~、体力ないのが理由~~????
と突っ込まれそう・・・。ひ~!
今度、去年ですが、テオティワカンへ行った時の模様を、UPします!
比べてみてね!!(IW, お楽しみに!)
テオティワカンはでかい!!!
体力勝負です
!
続きを読む2007年11月21日

カラフルな装飾の施されてたボートに乗り
いざ、タイムスリップ

こちらでは、貸切専用のようでした。
一隻のボート当たりで値段が決まるよう。
そう、大人数で乗れば割安ってことです。
手漕ぎで水路を案内してくれます。
何とも情緒溢れるゆったりした遊覧
。
遊覧できる水路はどうやら2種類あるようです。一つはソカロ中心部から出るもの。
もう一つはソカロから少し離れた場所。
しかし、水路は実はシリーズでいくつか存在するようですが、水路下りが行われてるのは2箇所の様です(ほんまかな?まだもっと調査してみんと
!!)。
どうやら私達は少し離れた場所から乗った様子。
少しソチミルコと湖に関する歴史を見てみましょう。
スペインに侵略される前、メキシコシティを覆うように南はソチミルコからテオティウアカンよりももっと北の方まで続く
大きな湖。
今ではその面影はほとんど無く、埋め尽くされちゃった
。お陰で、メキシコシティーの地盤は弱く、地震が来ると大変。
十数年前の大地震の際は災害者で溢れたとか。
大きなビルは破壊し、今でもソカロ近辺を歩くと誰も住んでなさそうで
危なそうな建物がそのままに。
大きな湖だったので、その湖の泥を活用したChinampa(チナンパ)と言う農耕技術がソチミルコを中心として生まれ、
古代メソアメリカを代表するものです。
大変肥沃な耕地として、湖の浅瀬に湖底を堀上げて作られた人工地。
底をかき上げた後、編み枝をめぐらせて長方形を作り(耕作地を作り)、
そこにまた泥、湖の堆積物をかき上げ、植物腐敗物を重ね合わせ、最終的に湖よりも上に農作地を作り上げます。
このチナンパ、浮き島と呼ばれる事もあるよう。
より安全に使用するために柳の木を植えたとも言われてます。
チナンパとはナウアトル語で「トウ(籐)で作られた長方形」
と言う意味らしい。
最初にチナンパを作る時の編み枝をサトウキビの茎で作ったのかもね。
そこで栽培された物は
トウモロコシ、スクウォッシュ(かぼちゃ類)、豆類が3大農作物。
彼らの主な栄養源だったようです。
(
今のメヒコでも主食のトルティーヤ(トウモロコシの薄いパン)、フリホレス(煮豆)は受け継がれてきたんだね~。)農業は重要分野でしたが、今ではマイナーになってきてるようです。
この技術が消滅しないよう、後継者を育成しないといかん!!
このチナンパが見れるのは今ではソチミルコだけらしいです。

ボートは
が所狭しと並んでる・・・。そして、水路は思ったより細く・・・。
あ~、ぶつかる、ぶつかる、ヒヒヒヒ

途中でやはりメヒコ
。物売りです
。
チチャロン、ポテトチップスなど、軽食を売るボート。
スイスイ~っとお兄さんに漕いでもらい・・・。
両岸は民家となっていて、人々が普通に暮らしてます。
もちろん、この水路を使ってジュースや食事を提供する仕事に従事してる様子。

ブハ
!!!このワンコ、ちょ~気持ち良さそう・・・

ところどころ、南国を思わせるような花が咲き誇る。

おじさんは織物を売ってるし・・・。
お、向こうの方から
歌が聞こえる・・・。
向かいから来るボートがマリアッチと共に

と、演奏中は歌をリクエストしたボートに
ぴったり引っ付いて水路を行く。
なかなか乙なものです
。
お、ボートを漕いでくれてるお兄さん、お腹がすいた様子。
そうやろ、これって案外重労働
。このようにボートの中でケサディーヤを作ってる!!
うひ、おいしそう

「ユミちゃん、ここでは食べたらいかん!!」と強く言われ断念
。やっぱり、ここの水質では・・・。

売り手の方々、手をパチャパチャ洗ってるよ、この水路で・・・
。うん、下痢っても仕方なさそう
。止められるのも分かる気がする。
ね、ね???
余談
家族連れの皆様はちゃんとピクニックとして訪れてるので
お弁当持参。
いや~、賢い過ごし方です
。
今までで一番広いところに出てきました!
この左手(写真に写ってない)にはステージが設けられ、
El dia de muertos(死者の日)には素晴らしいステージが繰り広げられるとか。
多くの人がこのボートに乗り、水上からこのステージを観るのだと。
さて、私達が乗り込んだボートはここまで。
今後、また同じ水路を元まで戻る。
往復で1時間ちょっとかな。
なかなかよかった!
アステカの人々はこの様にボートに乗り、生活を送っていたのだろう。
そして、メルカド(市場)は人々で賑わい、いろいろな宗教儀式が行われていたのだろう・・・。
と、昔に思いを寄せながら・・・

ついにボート乗り場到着。

ジルちゃんと記念に一枚撮ってもらいました

あ~、楽しかった!
こりゃ、ソカロ中心部から乗る方はどんなんやろうか?
きっとチナンパが見れるに違いない!!
IW, 一緒に乗ろう!!ね!
ちなみに
Xochimilcoとはナウアトル語でお花を栽培する場所(お花畑?花壇?)と言う意味みたい。
チナンパではお花も栽培されてたんだって。
きれいやったんやろうね
。
2007年11月07日

Pueblaはタイルで有名な街。
このように建物もタイルで飾られてたりします。
とってもきれい。
その焼き物にTalavera (タラベラ焼き)と言うのがあって、
それがまた良い味を出しています。
これはスペインに侵略された当時,スペインから伝えられた焼き物技術。
当時、白地に青色のタイルのみが作られていましたが、
今では色とりどりのカラフルなタイル、のみならず、
食器、ガーデン装飾品、飾り物等が作られています。
あ、食べ物も!!見逃せないよ!!
ランチョでも食べたMole(モレ)はPueblaが本場


お腹もすいてきたし、早速レストランチェック。
Pueblaに着く前に道を聞いたタクシーの運ちゃんに
「どこかお勧めのレストランはない??」
と聞くと・・・。
「Fonda de Santa Clara!!」
との返事が。
なんと、ここ、地球の歩き方にもトップで載せられていた・・・
。
手前 Mole Poblano (モレ・ポブラーノ)
右奥 Pepian Verde (ペピアン・ベールデ)
左奥 タコス
Mole PoblanoもPepian Verdeも郷土料理。
肉は鶏、豚、牛肉から選べます。
ちなみに
Mole Poblanoは

Pepian Verdeは

を注文。
味はと言えば・・・。
食べれば食べるほどにおいしい。このソースがトルティーヤと合う、合う!!
ご飯と絡めてカレー風に食べるのが、又良し

辛い物が苦手な方にはMole Poblanoおすすめ。
ちょいっと辛味が後になると・・・ひひひひ。出てくるけれども
これくらいなら、きっとそんなあなたも大丈夫でしょう。
Pepian Verdeは最初から、ちょっとピリッとするよん。
あ~、お腹いっぱいだね~!!
と満足感に浸ってる私達。
そこで、ジルちゃん重大発言!!
「疲れたから明日帰らない??」
「え???本当!!!
」いや~、これはラッキー
。それって、明日もプエブラを楽しめると言う事じゃない???
「うん、うん、泊まっていこう
!!」とPueblaに来たら、絶対にタラベラ焼きを見たい!!
そう思ってたので、うふ。ばっちりだ
!!
ここはCatedral(カテドラル)という二つの鐘楼を持つメヒコを代表する教会。
ライトアップ
され、きれい。この教会、中は
金キラ金
の内装。絶対見るべし!
とジルパパが教えてくれた。
残念ながら、今回はタラベラに夢中で・・・次回ね
。プエブラ中心街のアルマス広場周辺はホテルがたくさん!!
運良く空室もあり、では、夜の街を徘徊。
9時半をまわると店は全て閉まってしまいます。
が、広場ではライブ会場化していて、夜
はこれから。翌朝も大変よく
いて、気持ち良い!
アルマス広場の一角にて。

アルマス広場を歩きながら・・・。
Pueblaは
、本当にきれいなんです。通りにゴミが一つも落ちてない!!
これは、すごい!!
本当に感心
しました!!朝食を済ませ、早速タラベラ焼きを見に
!!
途中見かけた教会。

この辺りがタラベラ焼きが見れる地域。
たくさんメルカド(市場)も出てるよ。
タラベラ焼きはもち、偽物も売られてます。
しかも、偽物も一応本物として売られてるので
値段も結構します。
本物の70から80%くらいの値段かな。
なぜ、タラベラ焼きは高いかと言うと、手作りだから。
日本の焼き物と同じです。
お店によって、ちゃんと証明書付きのタラベラを置いてるところもあります。
で、まとめ買いするとそれなりにディスカウントしてくれます。
が、すぐに買っては駄目
!!買いそうで、買わない・・・。
素振りが大変重要
なのです!!で、この様子をみて、店の人はディスカウント
。もちろん、こちらもそれなりの交渉をします。
うひ、ジルちゃん、今回うちら結構頑張ったね
!!さすが店の人はタラベラのいろんな事を知ってます。
って、当たり前??
お店の人は知ってる事をたくさん教えてくれるので大変興味深い。

いい買い物ができて、ホクホクの私
。あ、それが、タラベラを見るのに必死で・・・写真撮り損ねた
のですよ。ガ~~~ン


プエブラの街は京都のように碁盤の目のような作り。
大変歩きやすい
ところです。人々も大変親切だし、街全体が大変清潔感に溢れます。
食べ物もおいしいし、気候は良いし・・・。
すっかりお気に入りになりました。
まだまだ見るところがたくさんあるプエブラ。
それは次回にとって置くことにしよう・・・。
あ~、また絶対来るでぇ~!!
そんな旅行でした

2007年11月06日

ダチョウも大きいね~~。
いつもダチョウを見るとコックさんの帽子が付いた鶏の足が
(って皆何の事かわかるろーか???)
お皿にのせられ出てくるのが思い出される・・・。
なんでやろう??
って、後でみたエミューはダチョウと似ていて、最初どっちがどっちか分からんかった・・・。
動物園もたまには来んといかんね~。
勉強になります

あ~!サイだ!!
って、めっちゃでかい!!
車の横に居るろ~??
車に体当たりされたら・・・ひ~、怖~~

あ~、こっちに向かって歩いてくる!!!

す、すごい・・・。迫力満点
!!あ~、今度はゾウが見えてきた
!!
あら~、なんだか楽しそう。
この木はお気に入りなの??
木にフニフニしながら・・・笑ってるよ
、ゾウさん!!順路を辿っていくと、大きな鉄格子の前に。
車を一旦停止し・・・。あ、鉄格子が開いた!!!
なんだか、仰々しい感じで、
「窓を開けるな!」
のサイン。
あ~、そうやろ、そうやろ!!絶対あけたらいかんわ!!
こちらの白トラさん、とても気性が荒いらしく、
な、なんと!!うちらの前にいる白い車をドツイテるではないか・・・!!
。ここでは、どうやら車は止まってはいけないようで、ゆっくり通過するのが基本。
警備の車
が「そこの白い車!!進んで、進んで!!」
と指示を出してるが・・・。
その白い車はトラの前で停止し、のんきにも写真を撮ってるし・・・。
ドツカレても堪えてない・・・
。その後、白い車が動き始めたら・・・。
白トラさん、うちらの前を通過

お陰で話題も出来たし、近くで写真も撮れた
。ひひひひ。ありがと!!
あ~、なんてきれいなんでしょう
!!
ネコ好き
の私は勿論トラも好き
ふさふさしていて、気持ち良さそう。う~ん、ハグハグ
してみたい!!いくらネコ科とは言えども、トラはかなり危険

なんせ、肉食ですからね~・・・
。ハグハグして、ガブリ
といかれた時には・・・
一日に9キロの肉を食すようです。
でも、十分にあげてくれてないと、襲われる確立高くなる
?よね・・・
。再び檻の扉をくぐり抜けたら、
こんどはラクダさんの登場。

そして、

とってもほのぼの。
が、キリンの首ってほんまに長~~~~い
!ここでまた休憩地点。
車を降りて、散策

なんと、カンガルーに会えた!!

私は生まれて初めて本物のカンガルーを見、
生まれて初めて生でジャンプを見た!!!!
ビヨ~ン、ビヨ~ンって感じで、結構いい距離飛ぶんだねぇ~
!!すご~~~い!!
赤ちゃんもカンガルーもいて、
かわいい~~
。赤ちゃんカンガルーはまだ人間を怖がってないのか、
私はすぐ横まで行けました


ここではヤマアラシが・・・。亀、鹿、小動物と共存。どういう組み合わせ??
ヤマアラシは一列に並び、威嚇
しまくってた・・・
。もうすでに3時間ほどサファリを回り、お腹空いて来たね・・・。
で、プエブラの中心街へ向かったのでした。
つづく
。